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建築の設計は、納まりをつける仕事です。筋を通す意志、見通す骨格を持った物語。
まさしく、物が語りだすかのように、創られた数々の名だたる建築は、
時に失敗してうなだれている設計者に、無言の励ましを与えてくれます。
スペイン、バルセロナにある、アントニオ・ガウディー作の、グエル公園にある
守衛さんの休憩所。その鰐の口のような窓辺と、そこに嵌まった鉄の格子を、
わたしたちは、設計で壁を感じたとき、いつも思い出します。
タイルを、細かく割って、なめらかに曲線を作り出した窓の縁と、
その中に、薄い鉄のプレートをねじりん棒のように曲げて、たてよこに
リベット(鋲)で留めた窓格子。決して、パソコンの画面の上からは、生まれ出ない形でした。
どれほどの、作り手たちの手が動いた末の、このかたちが、この世に在ること。
「細部に宿る神」がいるというより、「神」とともに在った建築家と職人が創りだした
おとぎ話のような、物語でしょう。すこしでも、近づけますように。
満月が役目を終えて西の空。十六夜の朝に夏の月が浮かんでいました。
今週は朝のラジオに、JAXAはやぶさプロジェクトのリーダー川口淳一郎さんが
出演されていました。60億キロ、7年に及ぶはやぶさの旅。一時は、音信不通の
行方不明にさえなった小惑星探査機「はやぶさ」の生みの親は、連絡が途絶えた時にも
「これ以上は、悪くならない。これから、起こることは、すべて良いこと。」と考えていらした
そうです。また、最後は神頼みだけれども、科学者として、すべてやり尽くした末の
神頼みか?可能性のあることは、全部やり終えたか?と常に自分たちに問いかけていた、
とも言われていました。最後に「技術より、根性。」と、ひとこと。
夢のプロジェクトを、推進して、無事帰還させた、数多くの人々の熱意。
希望という名の地上の夢は、月の見える場所にありました。
ポッドキャストでも聴くことが出来るので、J-WAVEのサイトから、どうぞ。
幾分涼しくなって、今朝の南風はとても心地よく吹き抜けていきました。
今日は、お隣の方の講演があります。ちょうど仕事の区切りがよくて、
のんびりと出かけて、くつろいで聴くことが出来ます。
仕事の区切りが、一日の終わりにぴたっとつくと、とても気持ちがよいもの。
そのように、し終えた自分をホメテつかわします。
仕事について「目星」と「目鼻」という言葉を、改めて調べてみると
「目星」は目標の見当をつけること。「目鼻」は目的のアウトラインを立てること。
おおよそ、このようなことと理解しました。
設計にも、建築の、全体の方向性を「これでいこう」と見当をつける目星仕事と、
さまざまな条件を等価に加味して「かたちづくる」目鼻仕事があります。
よい区切りを得られるのは、そうスタートして、フィニッシュした自分がいたから。
前倒しではじめた自分やら、途中よくやった自分やら、約束を守った自分やら、
日頃のいろいろが、かたちづくる「仕事」。おもしろいものです。よい、火曜日を。
夏の、暑さ疲れ。今年は、誰もが感じていると思うのですが、いかがでしょう。
その、疲れをとるには、お昼寝もひとつの手ですね。
我が家の寝室は、北側にあって二つの対称的な窓があります。
片方は、四角く低い位置に、もうひとつ私の側にあるのが、天井までの縦長の窓。
この窓は、内側に上げ下げの障子が嵌まっていまして、好きな位置に止められる様です。
斜めの天井、低いほうは1メートル90センチほどですが、寝る場所で、横たわるので、
もっと低くても良かったくらいです。地面から30センチほどしか上がっていないこの窓は、
北側の、涼しい風が吹き抜けていく、極楽の窓です。この奥には、お隣の家の後ろに、
建長寺手前からのトンネルがあって、そこの空気は冷えています。
そこから、廻りまわって、我が家にも吹いてくれる、心地よい風が入る。
うとうと夢見心地のあと、冷えたアイスコーヒーなど飲みつつ、またゴロゴロ。
居場所の、心地よさは、窓のあり方に左右されるという一例でした。よい、午睡を。
涼しい風が吹き抜けていく、八月の終盤となりました。過ぎ去りし日々に。
サンドラ・ブロックの「幸せの隠れ場所」とマット・デイモン、モーガン・フリーマン、
クリント・イーストウッド監督の「インビクタス」を、ここのところ続けて観ました。
どちらも、実話を元にしたスポーツものの映画です。
片や、貧困、ドラックの中から、ある黒人の少年が、白人の裕福な家庭の
女性に見守られながら、アメフトのNFLに入団するまでを描いたもの。
片や、アパルトヘイト、人種の違いを超えて、国をひとつにする、ラグビーの
南アフリカ代表チームとネルソン・マンデラ大統領の交流を描いたもの。
どちらも、スポーツという場所をメインテーマにしながらも、人と人の繋がりを
描いたヒューマンドラマでした。ことさらに、さまざまな不幸や人種問題を強調する訳ではなく
ある事実を淡々と描くことにより、抑えた表現が、かえって観る者に、考える時間を
与えてくれる、余白を持った映画でした。
殺伐とした、時代の中、声高に叫ぶのではなく、ある出来事を丹念に追いかけて、
必要な部分だけを、選んで描く「端正さ」。提示された側の、わたしたちの、観るちからを
問う、そんな二本の映画でした。観終わって、静かな力が温かみをもって伝わるような、
余韻が与えられる。オススメでした。![]()
お寺のお上人さんにお経をあげていただき、夜にはお盆の迎え火を焚きました。
この時期は、毎年「ご先祖様」がいつもかたわらにいるような気がします。
先の戦争の時の、わたしたちの親世代の年齢は、いまのわたしたちの子供たちの年齢と
重なります。その真ん中を過ごしたわたしたち世代の、恵まれた時代。
お盆の御施餓鬼に、向かうこの季節は、空を見上げて、65年前の夏空を想像しようと
してみます。45年ほど遡れば、小さい時分の、夏の空が思い出せる。そこから、
二十年を、繋げて、思ってみることで、両親の兄弟が命を落とした、その時代の、
同じ暑い夏の、空の青さを、おぼろげながら感じてみる。
「まず、総理から、前線へ」というコピーが印象に残っています。
関が原の戦も、戦っていたのは、農民たち。いわば、わたしたちのご先祖様です。
市井の立場は、いつも犠牲になるほう。こちらの、普通の人々には、「覚悟」があるけれど
為政者の立場の人間には、あるようには見えてきません。
この季節は、数多くの犠牲の上に、今のわたしたちの、日々の暮らしがあることを、
一日の間に、幾度となく、感じてみるためにあるように思います。合掌。
久しぶりの、まとまった雨も上がって、すこし落ち着いた朝を迎えました。
そこここの草花も、朝露をたたえて気持ちよく、見ているこちらも瑞瑞しさをわけてもらう朝。
明日提出予定の設計案、当初の照準を、末広がりの八月八日に合わせていたおかげで
よりよいレベルで、余裕をもって完成させることが出来そうです。
出来上がりを想像して、かたちを考えるわけですが、ここまでやろう、と自分が望む
定点を決めて、そこにいかに近づくか、が永遠のテーマです。
その創造したものに、点をつけるのは、相手の視点。望むのは、こちらの全力を
きちんと評価していただく、確かな目をクライアントの方が持っていること。
それだけのことが言えるために、努めているつもりです。
八月のぼんぼり祭りのため、八幡様の参道に列柱が立てられています。
盛られた砂の繰り返しは、伊勢神宮の境内のような、清々しさを醸し出していました。
すこしアタマが夏バテモードで、考え事のペースが上がっていません。
こういう時は、ジタバタしても、何も出てはこないので、そそくさと店じまい。
広げた大風呂敷に、熱気だけ包み込んで、吉報を待ちます。
まだ、勤め人だったころ、飲食店の郊外店の打合せで、新宿歌舞伎町の裏手!へ
行った時のこと。話しがメニューのことになって、材料の原価は「三割」以下に
抑えないと、なんてことを聞きました。なんでそんなことを思い出すかと言えば、
仕事で三割打つには、十割の入力がいるのかな、と考えていたからのようです。
いざという時、待ったなしで、チカラを出すには、日頃のインプットが効いてくる。
海面に浮かぶ氷山の一角が、相手に伝わるものとして、海中の部分をいかに
中身の詰まったものにするか。10のうち、3を出すための、10。この10を
大きくするのを、この夏仕事に精出しながら、考えます。
花火の一瞬のための、準備のように。
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