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つかの間の秋晴れ、大事に過ごそうと思います。昨日の雨上がりは、上々の気分で
海辺を歩き回っておりました。
ちょうど、雨雲が流れ去る時刻。遠い海の先には、明るさを湛えた乳白色の空。
なんとも言い表せない表情で水平線に浮かんでいました。
さて、その後事務所に戻ると、一通の
が。
設計コンペ「選外」のお知らせでした。「あーあ」というのが精一杯。
ふと「悲しい色やね」のフレーズを思い出していました。
起きた過去は、どうにも変わらない。変えられるのは、どう思うか。
こちらの反応だけは、自分の手の内にあります。
どんなことも、おきることは良いことである。すべてはどこかで繋がっているのさ。
すこし、ちいさくつぶやく秋の美しい空の下であります。よい、晴れ間を。![]()
とても、とても暑かった今年の夏。その八月九日に、尊敬する田中文男棟梁が
天国へと旅立たれました。
建築の設計を志すようになってから、特別に師事した人のいない私は、
主に書物や建物を見ることで、自分の糧を得てきました。
私の父と同年代の田中文男棟梁からは、仕事への気構えはもちろん、
生き方そのものへの視点と、その姿勢を、語られた言葉から学んできました。
「仕事は出来て当たり前」「仕事を仕掛けられる人間になれ」
頼まれたことだけをしていては、なにも進歩しない。自分から動いて仕事を作り出せ。
田中文男棟梁は、大工の手と学者の頭を持って、日本の古建築の伝統からその変遷を
身体で体験して、その身をもって、私達に成すべきことの広野を示してくださいました。
まだまだ、お前らひよっこだよ。中途半端な奴は、いらないよ。この本は、いつもそう
叱ってくれる一冊です。ひとこと、ひとことを幾度も読み返して、追悼したいと思います。
以下、「現代棟梁 田中文男」 INAX BOOKLET より
「時間だけは神様から平等に与えられている。これだけは誰でも同じだ。(中略)
要するに時間が欲しかったら、自分で作り出すか、無駄にしないかだ。一番無理しないで
つくるのは、一度でやるってことです。一度でやれば、二度も三度もやる余分な手間が
かからない。一度きりでやるんだと自覚していればいいわけだ。これは、己とのたたかい
だね。己とたたかう。たたかうというのは戦争の戦の字じゃなくて、闘争の闘なんです。
人間はみんな基本的に自分がかわいいもんです。私もこの世の中で、自分が一番かわいい
。そのかわいい自分と闘って時間をつくるんです。」 冒頭のこの言葉は、いつも私の背中を
押してくれる、おおきな支えであります。ありがとうございました。安らかに。合掌。
季節の変わり目、しばらく、ぐずついた空模様の今週が始まりました。
週の後半には、もう十月です。夏が長く感じられたぶん、なんだか秋が早足で過ぎそう。
よりよい今日を、そして長月を過ごしたいものです。
秋になると、人は立ち止まって、物事をすこし考えるようになります。
夏の暑さという、カラダへの負荷が減って、アタマに空きが出来るような、そんな感じです。
足元の二匹も、心なしか物憂げに見える。
犬はひたすらマイペース。見る側のこちらが、なにか愁いを抱えているから
そう感じるのかもしれません。物憂げの憂うというよりは、やはり秋の心の愁いなのでしょう。
雑事を抱えつつも、雑に暮らすのだけは遠慮して、秋を身近に感じて過ごします。
いつの間にか、九月も最終日曜日。今朝は一番の冷え込み、真夏日の話題からわずか
数日で、この様変わりはヤバイ。皮膚感覚というものが、夏に置き去りにされていて、
この涼しさを素直に喜べない自分がいます。皆さんは、いかがでしょう?
遥か沖合いを通り過ぎた台風が、夏の余韻をすべて持ち去って、
鎌倉の湿気もまったく感じられません。庭に落ちた彼岸花が一輪。
取り残されたかのように、秋風にゆれて佇んでいました。
十五夜が過ぎて、どこか所在なげな月が浮かぶ海。
秋風を通り越して、富士山の初冠雪の便りと一緒に、冬の気配も携えています。
朝日の昇る角度がゆるやかになって、これからは毎朝の日課が寂しくなる季節。
まことに季節というものは、律儀に巡るのですね。永遠に続くかのように思えた夏が、
まぼろしとなって露と消えた、今。ひとコマずつ、見送るそんな日曜の朝です。
ゆっくりとまどろんでいたい、タイフーンの雨と風の朝。休みのない、犬散歩をしてきます。
ピンッ!!と張ったリードが犬のやる気?を表して、ノンストップ。自然体の奴には、
かないませぬ。わかったよ、と町内一周。いやはや、まったくの休日はじまりでした。
穏やかな秋は、どこかへ隠れているようです。
ここのところ、あちこち車で送り迎えする機会があって、運転のマナーなんぞ考える日々
が増えました。日夜、車で仕事をされている方々、トラックやバンの営業車は、
道を譲り譲られして、お互い気持ちよくドライブ出来ますね。
やはり、マナーや決まりごとなんて、口に出してことさらに言うべきことじゃ、ない。
相手の立場は、自分がドライブする立場と同じ。秋の風のように、スマートドライブ、
心がけたいものです。よい、ドライブを。
のち秋
。
暑さ寒さも彼岸まで、の言葉とおり本来の季節がやってきました。が、ここまで涼しくなると
カラダがついていかないですね。衣替えにも戸惑う季節となりました。
雨がそぼ降るなか、一日待ちかねた犬を連れ出して散歩。よい行いの飼い主は、
上がった雨に感謝しつつ、海風に目を細めて、遠くたなびく雲を見ていました。
思っていたより、距離をかせいだ散歩中、同じように犬を連れている方々に会いました。
同じ空を見上げ、同じように足元の犬を連れ出す。違う人生も、重なるわけがありました。
大げさですが、秋の夜長は、とりとめのない考えをめぐらすのも悪くない。
よく言う、善悪の彼岸。フツーの人々には、善良の彼岸とでも言う居場所で、
のんびりと過ごすに、ぴったりの季節が巡ってきました。風邪などめしませぬよう。
シルバーウィークという、いかにも日本らしい一週間の真ん中を、ゆったりと過ごします。
わたしたちの暮らす鎌倉には、神社仏閣ばかりではなく、洋館も点在しています。
俗にいう「レトロ」な感じ。上↑の写真は由比ガ浜の交差点の角っこにある建物です。
今は「THE BANK」というBARがはいっていますが、わたしが小さな頃は医院でした。
急に熱を出した夜、連れられて、朦朧としたアタマで診察を待っていた待合室の風景。
なぜか、今もふと鮮明に思い出します。
有名なデザイナーの作るものは「作品」と呼ばれ、なにか、たいそうなもの、のように
取り上げられますが、街並みの美しさや個性「らしさ」というものは、
多くの無名のかたちが集まって作られるものです。
和歌で「詠み人知らず」とあるように、誰が作ったかは知られなくとも、
確かにある「かたち」たち。ある時代とともに、わたしたちの暮らす場所にありました。
よい、水曜日でありますように。![]()
一小節ごとに奏でられる、秋のメロディには、まだ夏の名残が感じられます。
お彼岸に入って、夏の陽射しが戻ってきたかのよう。
道端の秋桜だけが、秋風にそよぐ風情を見せていました。
夕焼けのような、朝焼けも八月のように燃え上がっている毎日。
秋分の日からは、秋雨といっしょに涼しさが訪れるようです。
庭のノーゼンカツラも、二度目の花盛り。ぱっと見、南国風情。
明日の中秋の名月を待って、秋モードに変換したいこの頃ですね。
先日、なにげなく、ヒットを積み重ねているイチロー選手の映像を見ていて、
なにかに似ている様を感じて、さてこれは?と思っていた、昨日の明け方。
ああそうか、と思い出したのが、木材に向かう大工さんの姿でした。
大きな角材と対面して、体をかがめ目を凝らす姿は、イチロー選手がバットにボールを
当てる瞬間の姿勢と、相通じるものがあります。
「ヒット」を生み出す姿は、職人さんのそれ、でもあったのですね。
ひとりごちて、納得している、初秋の日でした。
敬老の日、静かな朝の幕開けです。昨日のイベントも無事終了しました。
鎌倉由比ガ浜の街歩きイベントのゴールに設定された、アントニン・レーモンド設計の
鈴木邸。わたしたちも初めて見学することが出来ました。
広い敷地には、南側に庭が広がっていて、その先には江ノ電が走っているのですが、
広くて音が聞こえるばかり。今は手入れがされていない、この庭もひとたび手が加われば
居心地のよい水平線が感じられそうでした。
鈴木邸の設計図には69年の表記がありました。ほぼ40年を経たこの家には、
時代の陰影が残っていました。秋の日の午後、夕方の光りが静かに部屋の奥まで
ほのかに明るさを届けています。
家というものは、やはり人の棲家。今はあるじの居ない、大きな邸宅。
きちんと手入れをして、呼吸をするように、人が動けば、この家も生き返るように
思えます。減り続ける、古都鎌倉の邸宅の行く末を思う、イベントの後片付けでした。
由比ガ浜通りから、これだけの引きがあるアプローチ。
両側にクラフトショップなぞ並べて、野外イベントの市が出来そうです。
豊かな、場所を末永く残してもらいたいものですね。よい、休日を。
鎌倉の由比ガ浜商店街で秋の文化祭イベントが開かれています。
今朝、犬散歩ついでの寄り道をしたら、朝日の当たる商店街でした。
ひょんなことから「ひと・まち・鎌倉ネットワーク」(通称ひ・ま・か・ね)に参加することになり、
今日はそのお手伝いに出かけます。新参者なので控えめに、と思いますが、
由比ガ浜の街歩きの受付に、由比ガ浜公会堂の前にたちます。
よろしかったら、お立ち寄りくださいませ。ごほうびもありますので。
いつもとは違う道のりで海に出ると、連休の中日、サーファーがたくさん波間に出てます。
ずっと暮らしているまちでも、違う場所にいる気がしてきました。
よい、一日を、ご一緒に。
グッデイ、サンシャイン。
住まいも、人と同じで歳をとります。むしろ人より長い寿命を持って、幾世代もの暮らしを
支える器であるべきもの。ですが、日本では平均30年で建て替えられていました。
イギリスのように、百年を超えて資産価値が継続するような、考え方がむしろ必要です。
日本の古民家のように、生き永らえるためには、愛着を持てる素材や、融通のきくプランが
必須であると思います。今の日本の都市で、細分化されて建ち並ぶ建売住宅には、
既製品のオンパレードと、部屋数だけを確保した「間取り」しかありません。
愛着が湧くには、触れたくなる素材や、居心地のよい場所がなければ、住み続けたい
希望も得られぬもの。質素で単純な、素材と的確なプランさえあれば、その希望には
応えられる、と思っています。
日本が高度成長をする前の住まいは、木の窓が普通でした。
アルミサッシが登場し、都市の防火の観点から、今の日本の家には、
ほとんど見られなくなった木で出来た建具。わたしたちは、愛着を込めて「木建もくたて」と
呼んで、なるたけ使うようにしています。(コストとの闘いに負ケズに)
上の建具は、同じところの硝子戸ですが、左側は召し合わせ(引き違いの窓で重なる部分)
が外の雨がかりなので、風化して灰色になっていて、右側は部屋うちなので、綺麗なまま。
このように、木は経年変化していくもの。これを、歳月を経た味わいと捉える感覚が
まず必要ではないでしょうか。遺伝子の解析が進み出した頃から、言われ出した
「アンチ・エイジング」。歳を重ねることが、自然なことなのに、加齢が醜いことかのように
抗う「不自然」。本来の「お手入れ」は、よりよく在るための「エチケット」でありました。
よりよく在るのは「ウェル・ビーイング」。エイジングには、本来、馴染ませるという意味が
あったはずなので、そこのところを思い出して、よりよい歳の重ねかたを、
人それぞれ探していきたいものです。住まいにも、お手入れを。
昨日、今日と涼しい朝、海と空の色が溶け合って、その境があいまいです。
秋の虫の音を聞きながら眠りにつき、傍らに聞きながら目覚める、そんな季節になって
カラダが楽チンになりました。
日本語の文章にある「、」「。」英語ではピリオドになるのでしょうが、
句読点は、途切れずに連綿と続いていくような、穏やかな感じがあります。
以前、養老先生が、「言葉には物事を切り取る性質がある」と言われていました。
人がなにかを感じて、言葉にした瞬間に切り取られる事柄は、表された言葉によって
そこから零れ落ちて消えていくものが含まれています。
言葉でしか伝えられない、人の気持ちの機微を、なんとかかたちにしてみたい、
と設計をするようになってから、ずっと願っています。
見えない気持ち、人の希望や願いを、汲むことから、それは始まるように思っています。
つれづれなるままに、つれづれなう。
昨日の台風が、地上の熱を連れ去って、涼しさを運んできました。
ひさしぶりに見上げたグレイッシュな空の木曜日です。
台風の訪れ前、八幡様の上には、朝焼けと虹がかり。
今年四回目の虹でした。
予報より早く降り出した雨のなか、現場を午前中で切り上げて、帰宅。
雨脚がつよくなる前に戻れて、ラッキーでした。
今朝の海は、やけに平たく感じられて、とても静かです。
思いのほか、カラダを酷使した日本の夏が去ったあと、秋口は
その無理を払ったツケが廻ってくるよう。
この週末は、すこしのんびりとして、栄養補給。乾いたカラダの芯を
暖かいスープで癒す予定です。スープはカラダへの吸収が早く効き目もあるそう。
そろそろ
が似合う季節の訪れですね。結局、おいしいお酒が目当てのわたくしでした。
遠い台風の余波か、南風が砂つぶてを運んでイタイ朝となりました。
片付けの進む海の家、砂嵐の中で、「寂寥感」という言葉が似合う佇まいです。
すっかり、ここ一週間で、夜明けが遅くなって、夕暮れも早く訪れるようになりました。
残る暑さが去ったら、急に秋が身近になることでしょう。
夕べ、クローズアップ現代で、奨学金の返済が滞っている現実の特集がありました。
住宅のローンを支払っている身として、身につまされる問題でした。
共感して、同じ気持ちになることは、難しいけれども、理屈ぬきで「共鳴」することは
目を見開いてココロを開いていれば出来て、打てば響くようにあること。
お題目をとなえるより、共鳴できるココロを持ちたいもんです。よい、一日を。
去年の今日の、朝こんな写真を撮りました。
4日には、滑川の丸太橋も、取り払われていました。
今年は、まだこれから。海の家もまだ、かたちを残しています。
昨日の夕刻、どうにもかったるくて、きりのよかった仕事を仕舞って、ゴロリン。
思いのほか、くたびれカンタービレで、熟睡。
目覚めると、ふと時間の感覚がゆっくりと感じられました。サッカーのAマッチも、
前半の時計の進み具合が、妙にゆっくり。きっと、見えないものに追われていたのでしょう。
秋風は、長い夜を運んできてくれます。段々に、明け方が暗くなるぶん、
一日の余韻が永く感じられる季節。
この夏の、まだ続く、くたびれも、一緒に寛ぐ週末でした。ご自愛ください。
ビヤガーデン
は、三週間ほど期間延長だそうですが、海の家はそろそろお仕舞のよう。
今朝も、いそしぎのメロディが耳の奥で鳴っていました。
商売繁盛のお陰で、なかなかまとまったお休みがとれていません。
毎日五時には仕事を仕舞いにしているので、なーんにも文句はないのですが。
すこしの間、なにも考えずに立ち止まる時間が欲しい。
ついつい、これを今やっとけば、後で楽だな。という姑息な考えが浮かんで、
仕事を進める習性。水曜日の休みの予定も、現場が動いていると、止める訳にはいかず
仕事をすることになりますし。結局、セルフコントロールが足りないのでしょう。
「しゅうせい」と打ったら、秋晴、秋声という表示が出ました。
ちょうど、そんな時期です。虫の声と潮騒が傍らにある、この暮らし。
仕事があるのに、贅沢言っちゃいけねえや。よい、休日を。
雲の流れるようすが、あきらかに移り変わって、秋空が高くなりました。
数々の記録ずくめの、この夏の気温。言われなくても、暑いのさ!
彼の地では、イチロー選手が10年連続の200本安打を目指しています。
残りおよそ30試合で31本。普通の選手なら、170本もヒットを打っていれば、
それで充分のはずですが、そうはならないところの、レベルの高さ。
修行僧のような、野球サムライは、きっとやってくれると思います。
自分の中の3パーセントを、すこし上げることが出来たら、よしとしよう。
いっぺんに変えることより、一日一日、その3パーセントをよりよく。
季節がすこしずつ、でも確実に変わっていくように。よい、一日でありますように。
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