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だんだんと雲が切れて、晴れた月曜日がやってきました。週中には、早師走。
すこしずつ、十二月の、冬の冷たさが近づいてきています。
鎌倉は、黄葉がピークを迎えて、そろそろ紅葉も見ごろを迎えます。
去年は、師走の半ばまで楽しめた紅葉。今年は、冬らしくすこし前倒し?のようです。
青空には、ちょうどのハーフムーンがほほえむ季節でした。
今年の年末は、すこし時間がとれそうなので、身の周りの、仕事場環境を
整える師走にしたいと思います。新しい、来年の仕事に向けての資料集めや整理。
自分の好みは、そうは変わらないので、数をすこしずつ減らして吟味しながら、
使いやすく、見易いものをまとめてみようと考えています。
暮らしぶりのヒントは、身の周りにすべてある、と聴きました。
秋晴れの陽射しのした、すべてが微笑んでいるような、そんな朝です。よい、一週間を。![]()
家人が、昨日の夕方犬散歩に出てくれたお陰で、すこし寝坊が出来ました。
さりとて、今朝の犬散歩は行かねばなりませぬ。南風がとても強い日曜日です。
犬も砂つぶてに、目を細めて踏ん張ってました。
昨日は、浅草で一杯。その前に、神田明神に今年の報告やら、御礼やら、商売繁盛
と欲張ったお願いをしに立ち寄りました。折りしも、本殿前では挙式の記念撮影が
始まるよう。そそくさと御参りをすませて、御めでたい席に場を譲って帰りました。
さて、賑わう浅草で、二次会のお店を確かめてから、押上へ。
長野の友人と、スカイツリー「勝手に見学ツアー」をしてきました。
昨日の時点で、高さ497m。真下から見上げると首がほぼ限界です。
武蔵の国からきた、634mの高さまで、これから137m。
来年末の竣工に向かう、年の瀬間近のタワーでした。
夕闇の降りようとしている、シルエットは、現代のバベルの塔。
骨っぽい感じがする、スカイツリーです。
まだ明けやらぬ空、星が雲間にまたたく霜月も、二十六日になりました。
昨日は、二人の指揮者のお話にうなづくことが多い日でした。
朝、J-WAVEで三ツ橋敬子さんが、「今の自分に出来ることは、譜面を読み込むこと」
作曲者が譜面に込めた思いを、忠実に読んで、咀嚼して、指揮をすることを心がけられて
いるとのことでした。夜には、佐渡裕さんがレナード・バーンスタインを語る中で、
「譜面を掘り下げて、読み込んで、音符の間も読んで読んで」と言われていました。
バーンスタインに学んだ小澤征爾さんの弟子、三ツ橋さんと、バーンスタイン最後の弟子
佐渡さんが、同じように「譜面を読み込む」ことをして、指揮をしていると語った日。
世代が変わっても、同じ表現者として、連綿と続く教えと学び。新しい世代も、繰り返し
繰り返し、試行錯誤しながら、同時代の音楽を作っていくことで、日本人指揮者の伝統が
続いていくのでしょう。
作曲者が譜面で表現をし、その譜面を読み込んで、音楽をつくる指揮者。
設計者が図面で表現をし、その図面を読み込んで、建築をつくる施工者。
同じ表現でも、同じ二次元でも、時間とともに消えていく音楽と、時間とともに残る建築。
相手になにか伝えるために、思いを込めるのは、譜面も図面も同じだと思います。
いつまでも残る音楽、の譜面と、いずれは朽ちる建築、の図面は、同じ平面でも
生み出すものが違うけれど、姿勢は共通することに思い至るのでした。
「建築は、凍れる音楽」と言われますが、生み出す思いの根底にある、人間の心。
譜面も図面も、心を込めて伝えるもののようです。
曇りのち晴れの勤労感謝日。風が強かったけれど、とても気持ちのよい暖かさでした。
朝には、消防署の花壇のマーガレットも、北風に、右へならえ!してました。
晴れた秋空の下、午後から、ふたたび由比ガ浜へ。
お目当ては、BORN FREE WORKSで開かれていた
イワサキユキオさんのホッとPHOTO展です。
「ほぼ日」の看板娘、ブイヨンちゃんの、お母さんルーシーちゃんと姉妹ハンナちゃん
と海の風景がひろがる写真展です。
会場には、ご本人たちがいて、みんなのアイドル&モデルでした。
いままで、写真でしか会えなかった、ちいさなともだち達に会えて、とても幸せな午後。
犬を介して、お話も出来て、ココロがホッとする、そんな気持ちのよい写真展でした。
また、お会いしましょうね!
季節は早「小寒」。これからは、北国から雪の便りが、頻繁に届く季節の訪れですね。
327日目の今年、光陰矢のごとし、あっという間に過ぎ去って、ぼーーっとするばかりです。
雨がいまだ上がらず、散歩に出そびれた犬が、待ち体勢で所在無げに佇んでいます。
夕べ観た「スクール・オブ・ロック」元ギター小僧としては、たくさんの小ネタが散りばめられ
とても楽しい映画でした。ストーリーは、お決まりの学園もので、ハッピーエンドなのですが、
主演のジャック・ブラックが素のまま?の怪演。AC/DCのアンガス・ヤングを彷彿とさせる
ステージで盛り上げて、後味も、主演のあくの強さが残る、ひとひねりある映画でありました。
いい時期にある、勤労感謝の日。週末の、宴にむけて、ゆっくり楽しむ休日です。
紅葉を、見上げつ、過ごす小寒かな。
今年も季節の恵み、ボジョレーをそれは美味しくいただきました。週末まで待ちきれずに、
ぺろり、もとい、ごくり。幸せとは、こういうことを言うのだ、これでいいのだとバカボンのパパ
の気分で上機嫌な夜でした。車で買い物に出かけたおかげで、フルボトル、ハーフボトル、
はたまたペットボトルの![]()
![]()
二世帯分を積み込んで帰って、犬散歩に出て揺らぐ決心。
この場合の決心というのは、風邪っぴきの治りかけ「今日は、飲まない!!」というケッシン
なのですけど、折角の解禁日だし、喉もほどよく渇いたし。「やっぱ、飲も!!」という決心に
変わるまで、数秒の逡巡はありましたが。結局、飲兵衛という奴は、飲む理由が単純です。
過ぎた![]()
の翌朝は、夜明け前に起床。澄んだ空に、星が瞬く夜明けを見上げる。
冬のオレンジ色が、やさしい、静かな海に佇む、幸せな一日の始まりに。日々是好日。
病み上がりの現場は、予報より長く一日中、冷たい雨が降り続いていました。
が、気合というか気持ちが上がっていると、なんとか動けるものです。
たかが風邪、されど風邪。気持ちを左右することも、それは恐い風邪なのでした。
自営という生業は、仕事の引き合いがあってこそ、成り立つものです。
特に、極小零細設計事務所にとって、引き合いがあるから、続けていけるものでした。
ただ依頼されるだけではなく、こちらの予定や都合をあらかじめ聞いてくださること。
など、挙げればきりがないほど、さまざまにたくさん支えられていればこその、設計です。
信頼に応えるには、こちらの健康が大前提ですね。代わりがいないから、頼まれる仕事。
気力の充実無くしては、依頼に応えることが出来ません。
晩秋の空の下、改めて初心に立ち返る、そんな週になりました。新酒もあるでよ!![]()
の週末へ。
都会の街中では、公園の近くでない限り、家の窓から緑が見えることは少ないでしょう。
人のココロは、緑を目にしないと、どうやら潤いを失って、荒んでくる気がします。
その点、鎌倉では、降り積もる落ち葉のことを別にすれば、とてもいい居場所のようです。
幾度となく、登場する我が家の東向きの高窓。この季節には、日々紅葉が色づく
自然の絵画を楽しむことが出来ます。同じ山の同じ紅葉でも、その日その日の天気や
お日様の当たり具合で、それは違って見えるものです。見る側の、気持ちや体調によっても
明るく見えたり、くすんで見えたり。
よい窓は、外を映す窓であり、住むひとのココロも映す窓でもあるようです。
秋の一日、現場に出る気合を入れる朝であります。行ってきます!!
今日は、オバマさんが鎌倉に来られるそうで、警備の面々が朝からたくさん。
京都、大阪府警から、山口、下関ナンバーの車両まで。みなさん、いろいろなお手当てが
税金から出ているので、せいぜい頑張ってくらはい。地域の安全は地域住民からです。
そんな秋の鎌倉を、昨日は紅葉の様子を見に出かけました。
おいてけぼりの犬は、「あれれのれ?おいてくのかよ?」ときょろきょろ。
ちょろがきょろ。↓置物のように固まって、見送る犬でした。
訪れた妙本寺。山門の修復工事が来年秋までかかるようで、大きなもみじの紅葉に
はまだ早く、しばし待ての秋でした。場所によっては、黄葉のほうが一足先に訪れて
風に舞い落ちる木の葉が、足元でカサカサと音をたてて、転がっていきました。
帰り道、鎌倉の市場によって、紅だいこんを買ってかえりました。
中身は白く、歯ごたえがあって、後味に辛味が少々ありました。
庭のみかんと和えてサラダに。秋野菜の声を噛みしめてみる休日であります。
常日頃、人様の家を設計していて、コンペに参加して、それは数多くの模型を
作っては壊し、また作ることをくりかえしていました。が、こと自分の家をつくった時には
ついぞ模型なんて作りませんでした。自分にプレゼンするわけもなく、まして派手な見せ場
など持たない「自分の巣」のような住まいですから、図面の上だけで済ませて建てました。
とはいえ、自分の分身であり、子供のような我が家。模型ぐらい、この際残してやって
愛着のしるしにしておくか、と仕事展のついでに、かこつけてこしらえました。
なにせ、十数年経ってから作ったもんで、苦労した設計の過程や、出来上がった最終形
のことなど、とうの昔に忘れ去っておりまして。ときおり、外に出て実物の我が家をしげしげと
見直して「そうか、こうなって!いたんか。」と自分の家を再発見する始末でした。
でも、普段の仕事とは違う、肩のチカラの抜け具合が、模型の雰囲気に現れて、
いいんだか、わるいんだか、よくわからなくなってます。「脱力の家」とでもいおうか。
「まっ、いっか。」
ほどよい秋晴れな日曜日がやってきて、ふと今年があと二ヶ月ないと思う朝でした。
過ぎたるは、という時に、及ばざるがごとしの前に、どこから「過ぎた」ことになるのか、
見極めることがいりますね。表現をするのには、見てもらう相手の人々のことを
考えてつくるのか。それとも、自分のやりたいようにやって、相手にそれぞれ受け取って
もらうのか。この場合、受け取らないこともありますね。
最近は、やりたいようにやるようになりました。最初の受け手は自分なので。
自分が気に入らなくちゃ、人にも受け取ってもらえないように思っています。
時に、やり過ぎちゃっても、足らないで後悔するよりはいいし。
昔のひとも「過ぎたるは」って、幾度も思ったから、言葉があるのでしょう。
今しかない、毎日でも、昔の人も同じように苦労したり、笑ったりしていたことを思うと
なんだか楽しく前向きになれます。わたしたちの見ている風景も、たくさんの人が
見てきたもの。わたしたちの後ろ側には、昔の人の未来がいっぱいあるのでした。
過ぎず、及ぶように、いい按配で、出来ますように。よい、休日を。立冬に。
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