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日が伸びたとはいえ、朝六時ではまだ闇のほうが強い、昔話のような風情でした。
はやいもので、一月終わりの土曜日となりました。無駄にせず過ごします。
明日の打ち合わせのため、今日は書類づくり。耐震偽装事件から、余計な!!!
書類が、さらに増えて面倒になりました。国が認めたはずの資格である「一級建築士」は、
ただの紙切れの上の「身分」?になれのはて。まあ、国自体が体を成さぬ「つくりごと」
言うだけ、それこそ「無駄」になるので、黙って自分の仕事をします。
わたしたち、設計屋の仕事は、依頼者の要望をかたちにする「技術屋」であります。
パン屋さんやお蕎麦屋さんが「たべもの」をつくるように「たてもの」をつくる仕事。
鰻屋さんのように、松竹梅のランクをうな重につけるとするなら、たてものにも「松竹梅」。
いや、しかし、地震で倒れる「偽装たてもの」を平気で建てた「技術屋」が後を絶たないので、
自分たちの努力で、設計屋の「松竹梅」ランクを獲得するしかないようです。
食べ物は、たとえすこし不味くても食べられるけれど、偽たてものは、そうはいかないから。
職に貴賎は無いけれど、作り手に貴賎はある。と考えるようになりました。
戯れ歌のヒットチャートのように、何十万枚売ってランキングされるのとは対極に、
依頼者一人一人にとって「松」ランキングを獲得するのが、設計屋の「技術屋」たる所以
なのだと確信して、「いい仕事」します。
夜半のサッカーを見るのだ!の一心で寝込んでいたおかげ?で勝利とともに
夜が明けました。病み上がりの空に、下弦の月がくっきりと昇っていました。
当然、まだ本調子ではなく、海までの道のりはいつもより長く感じました。
足元の犬は、いそいそと喜びつつ右往左往。ちと、くたびれる朝です。
健康を損ねると、いかにそのことが仕事に影響するか、当たり前のことに気づかされます。
設計の、考える部分では、集中する力が、図面にするには、細やかな気力と根気がいる。
平凡な日常も、健康であるからこそ、のなんでも無さなのでした。
まだアタマがうまく働かないだろうから、本でも読みながら安静。それを言い訳?にして、
集中は「来週から」でいいや。と、お気楽さを発揮する自営業者であります。
静かで穏やかな日曜日、今朝の海はいつになく空が広く感じました。
この空の下に、暮らせるありがたさ。しみじみと味わい佇む今日です。
昨日は、全面リフォームをするお宅へ打ち合わせ。床下にもぐって、ほふく前進。
そのまま腹ばいで後進。土台や基礎の目視チェックをし、水、お湯、ガスの配管を調べ、
さて今度は屋根裏へ。背伸びをしつつ、小屋裏の様子を調べて終了となりました。
今回は、詳しい調査ではなく、今後の方針を方向づけする基礎となるものでした。
骨組みを残して、ほぼ中身を解体するスケルトン(骨組み)・リフォームになるので、
最後の調査は、解体してからということになります。
まだ、建てられて10数年。これから、半世紀は住み継ぐ居場所として「再生」すること。
文字通り「生き生きとした」場所にする仕事です。
先日、我が家から数分の神奈川県立近代美術館見学会に伺いました。
美術館の学芸員の方から、お話しを聞き、実際に働く視点から語っていただきました。
2階テラスから見下ろす源平池、彼方には鎌倉の山並みも連なって見えます。
中庭から見上げると、冬の月が北東の方角に昇っていました。
戦後まもなく、1951年に建てられたこの美術館は、鉄の無い時代、鉄をかき集めて
創られています。当時、外交官出身の内山岩太郎知事の英断で実現したこの建物も
八幡宮からの借地の上に建っています。その、借地権が五年後にきれることから、
以前からその存続の行方を見守るわたしたち。設計者の立場というより、物心ついてから
慣れ親しんだこの境内と建物を好きな、一市民として、このまま、ここにあってほしい。
池の水面に反射する光り。その揺らぎの芸術を見ていると、時間を忘れます。
この美術館の佇まいそのものが、光りの芸術で出来ていました。
大寒の今日、身構えて出かけた寒さも、北風小僧がお休み中で助かりました。
カラダの感覚は、動くあいだにすこしずつ目覚めていきます。海へと向かう道すがら、
徐々にスピードアップして、すこし走るようにしています。もちろん、足元の犬の右往左往に
合わせて、途切れとぎれですが。面白いもので、走り続けていると、昔の感覚が戻ってくる
ようです。高校のときのカラダには戻れませんが、それでも自分に合った走り方は、
徐々に取り戻すことが出来ました。ここしばらくは、無理せず暖かな春を目指して、
すこしずつ距離をかせごうと思っています。
道端の雑木林、犬達を威嚇するように「グワッ!グワッ!」と鳴く台湾リスは、
こちらがじっと眺めているのに嫌気がさして、垂直にすっ飛んでいきました。
水平力と垂直力を併せ持った野生に見習うべく、うさぎ年の中年は
横走りに走る水平力をつけて、ものづくりの地平の彼方を目指します。
週中水曜日は、とても静かに始まりました。風が凪いでいてすこしカラダが楽です。
毎日寒いけれど、ちょっとずつ春の気配が明るさの中に感じられる朝でした。
昨日仕事で出かけた街は、駅舎が高架になっていたりして、ここ数年の間に変わって
いるかと思いきや、以前通ったときとそれほど印象に変わりがありません。
落ち着いた住宅地ということもあるのでしょう。近くの公園の佇まいも静かなものでした。
ただ、大きな敷地が細分化されて、小さな建売住宅が複数棟建つ場所があって、
これからは変わっていくのかな。川沿いの景色は、変わらずに大きな空そのままでした。
たとえ一軒の小さな家も、街並みの中でひとつの風景をつくります。
その一齣を、よりよくすることで、その場所の雰囲気がよくなったらと思いました。
まことに寒中らしい寒さ、朝焼けの海は打ち寄せる波で満ち満ちていました。
当たり前か。
ひっきりなしに寄せる波は、朝焼けの光りを映して、刻々と姿を変えています。
また当たり前か。
さて昨日は某コンペで丸の内!へ。ビルの谷間の日陰に吹きすさぶ風に、
「こんなとこでは、働けんな。」と思いながら歩いていました。
結局仕事は辞退。すっきりとして、その足で神田明神へ。ようやくの初詣となりました。
訪れるたび、境内の空を見上げて気持ちを新たにします。
節目節目を、この場所に来ることで、初心に戻っているような気持ちでした。
世知辛いなか、考える時間が短くなるばかりか、考える時間そのものを与えない、
そんな仕事があります。あらかじめ、欠けている。その仕事の行く末。
考えるからこそ、の人間の仕事です。今日は、午後から、二年越しの仕事を始めます。
考える時間を、うーんと取って、実り多いものになりますように。よい、火曜日を。![]()
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昨日は、鎌倉の近代美術館本館を、職員の方に案内していただきました。
明け方の美術館は、静謐な佇まいをたたえています。
さて、そのお話は置いといて、昨日の朝、宮城の友人からある「肉」が届きました。
クール便のスチロールの伝票に、品名 「肉」 とだけ書かれていたので、
へそまがりな私の、その友人のやること、ただのお肉ではないと察しがつきました。
案の定、届いたブロックは 「熊さん」の! お肉でありました。
添えられた送り状の、友情のこもった丁寧な解説文には、
山形県の飯豊連峰で獲られたツキノワグマとあります。
その友人の蝶好き仲間に、山形の豪雪地帯に住みマタギをされている方がいて
その方に分けていただいたものを、おすそ分けしてもらったという次第。
さて、その恐れ多い、神聖な 「熊肉」 山ノ神さまに感謝していただくことにします。
小国町のマタギ流の 「熊鍋!!の作り方レシピによると、熊さんのお肉の特徴は、
「硬い」 「脂がある」 「アクが出る」 とのことでした。
調理ポイントは、
①ひとくちサイズに切る↑(硬いので噛み切れないから)
②柔らかくするために、弱火で一時間以上煮る
③アクを取りながら煮る↓ でした。
特に臭みもなく、野生の筋肉質な、筋(すじ)肉をお酒とお砂糖でことこと煮て
おしょうゆを加えて、別茹での大根やきのこ、お豆腐とあわせて、無事「熊鍋」完成!
イメージとしては、黒っぽい「牛筋煮込み」といったところでしょうか。
スーパーのお肉ではない、野生の滋味を堪能しました。薄切りにしたおかげで、
柔らかくなって、思ったほど噛み切れないことはありませんでした。
レシピの指導がよかったのですね。
もうひとつの特徴の脂身は、脂そのものが、手あれや、やけどの特効薬だそうで
弱火にかけて、こして、ビン詰め。我が家の秘薬となりました。試用した家人いわく
「お肌すべすべ」とのことです。熊さんは、美容にもよろしいようで。
人の創った「近代美術館」に身を置きながら、自然の創った「熊」の肉のことをしきりに、
考えた不思議な一日。山の恵みを、お祈りしていただく、特別な日になりました 。
風のない朝、放射冷却された町には、静かに霜が降りていました。
砂浜も白く覆われて、すこし雪国の気配にも見えたりします。
もくもくと湧き上がる雲が、川面に姿を映してよりいっそう寒さを感じさせていました。
寒中の日曜日。寒さのなか、閑ありて、いろいろと考える時間を与えられました。
以前、野球のトレーナーの方が、盗塁を成功させるためには、早く走るというのは当然で
「移動時間」を短くする、と考えれば、まだまだやることはたくさんある。と言われていて、
なるほどと思ったことがありました。
肉体的に早く走れること。は前提になるかもしれないけれど、時間を軸にすると、
スタートの切り方や、スライディング、リードの仕方や姿勢。見直したり組み合わせし直し
たり、いろいろな創意工夫が考えられます。
さて、その考えを建築の設計に生かすと、どうなるのかな?
と、かねてから考え中。閑にまかせて考えていると、そのこと自体が面白くなる次第です。
出不精になる寒中ですが、週明けからは外に出る機会が増えます。
カラダを活動させるのが、考えを進めるには、一番効き目があるとすれば
大寒に向けてダッシュするのにいい按配の日です。よい、休日を![]()
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旧成人の日を迎えた冬の朝、今日の海は穏やかに風もゆるく和やかでした。
その旧成人の日、満五歳を無事迎えた、我が家の犬族の長男です。
おやまの大将ならぬ、小山の大将。砂山と格闘してどうしますか。
と思えば、なにかを思索してみたり。五歳児はなにを思うのでしょう。
犬と過ごした池田晶子さんはパートナーの愛犬を「毛皮を着た魂」と書かれていました。
なるほど、ぴったりとはまった「言葉」です。言葉によって考え続けた人によってのみ
得られた至言です。
我が家の「魂」も、純粋なまなざしは疑いようがありません。
純粋で無垢な「毛皮を着た魂」は、千葉から来て鎌倉に暮らしています。
「おい、目やについとるで。」......
サッカー中継で夜更かし。三時間後、小さいほうの犬が飛び乗ってきて、重さに目覚め
「もうちっと寝かしてくれろっ~」と力なく応えたけれど「起きないと私のご飯が出ないのっ!」
と容赦ない攻撃のもと、降参して起きました。
三十分遅れで散歩へ。初詣のピークを過ぎた八幡様は、ようやく静けさを取り戻しました。
毎日、氷の張った源平池を横目に、すたすた、すこしぼやけていた頭を日の出が
起こしてくれました。冬空の蒼、今朝も凛凛しい空気を伝えてくれます。
都内で家を考えると、家の外へと抜ける視線がなかなか得られないほど、
家並みが近く、見える空も小さく、さてどうしよう、と途方に暮れることもあります。
その点、ここ鎌倉では小町通りなど商店街を除けば、どこかしら「抜け」が得られます。
人は風景と気持ちを共鳴させるいきもの。たとえちいさな空を見上げる窓でも、
地面を見る小窓でも、風景を共感する絵窓をつくりたいものです。
外は、早、芽吹きの気配に満ち満ちている、鎌倉の谷戸の風景がありました。
日本海側の大雪に比べれば、とても穏やかな朝ですが、それでも冷たい北風の海です。
冬場の乾燥で水量の減った滑川の、蛇行した河口に鷺がぽつりと佇んでいました。
川面は水鏡。映すものを刻々と変えて流れていきます。諸行無常。
日本の家は、木の色と白壁の色で出来ています。ルイス・バラカンの色は、メキシコの
陽光と花の色ですし、ここ日本では、様々な木味をもつ針葉樹と広葉樹をそのまま活かす
素地の色と漆喰の白。木の色は経年で深みを増していき、漆喰の白も差し込む光りで
グレイから純白、ときに夕陽をうつすオレンジ色まで、刻々と色合いを変えていきます。
人の服の色やソファーの布の色が引き立つよう、住まいの素材の色は生成りがいい。
そんなことを、今年も漠然と思っています。
茶色の犬と杉の床は、相性がよいようで、うとうと。
朝六時過ぎに海へと向かいました。通り沿いの美容室はどこも明るく照明が輝いて、
新成人女子の髪結いが始まっています。親御さんと二人で、お店に入るお嬢さんもいて
さぞ御両親も晴れがましい気分であろうと思います。
雲は流れて、成人式にふさわしいお日様が昇ってきました。
暖かな陽射しのもと、前途洋洋でありますように。先ゆくおじさんも見守りますから。
友人が、職業別ストラップ「建築士」をくれました。家とコンパスが、設計屋の象徴で
表されております。いまどき、コンパスを使って図面書く奴いるのかよと一人ツッコミつつ
ありがたく頂戴してくっつけました。
ハタチの頃ははるか彼方、でもさほど進歩はしてないようです。
その時流行っていた「ネクラ(根暗)」という死語はアキバ系に姿を変え?メインストリーム
学生時代の根暗は、社会に出たら「老成」という評価になったりして、面白いものです。
「昔はよかった」と「近頃の若い奴」という物言いだけは、ずっとしないだろうと思いますが、
どうしても「上から目線」の位置に立ってしまうことはありますね。
自分たちの二十代を棚上げせず、同じ横並びの目線で見渡したいものです。
電線の雀たちのように、いろいろと違うまま、ありのまま、異なる世代が仲良く。
ありふれた日常こそ、常ならざるもの。日々、是好日。![]()
すこしずつ、ほんのすこしずつ、明るくなるのが早くなって、春へと向かっている感じがします
寒さは、まだこれからですが、明るい日差しは満遍なくさしてくれていました。
ここ数日、西澤文隆さんの本を読み返していました。
もう亡くなられて四半世紀がたちますが、70年代に書かれた文章からは、今もなお
建築家の心構えが生き生きと伝わってきます。こちらも、齢を重ね、より深く内容を咀嚼する
ことが出来るようになってきました。折りしも、平行して読んでいた池田晶子さんの言葉と
重なる部分があって、一流の人たちは、おおもとのところで、同じことを考えていたことが、
よくわかる実感がありました。自然や宇宙と、自分との境目がなくなって、無我の境地になる
、そのことは、建築も哲学も、その対象は関係なく、考え続けることで「その場所」に
たどり着けるようです。まだまだ、その足元、いや足跡さえ見ることさえ出来ていませんが、
「相手を尊敬出来るということは、自分にもその素養があるから、そう思える。」という、
吉田美奈子さんの言葉を励みにして、学び続けようと思います。
八幡様の源平池に氷が張った朝です。七草粥明け、冷えた空気に凍えつつダッシュ!
足元の犬とともに、アタマのなかで「ロッキーのテーマ」を鳴らしつつちょうど着ていたパーカ
ーのフードかぶりつつ、走り出しました。傍からみたら、まるでお馬鹿です。
ウエストサイズが80センチに戻り、うれしい限りですが、高校の時にはまるで感じなかった
自分の体の「重さ」は、ひしひしと来ます。ダッシュが続かないのは勿論のこと。
走るのが商売の犬に引きづられながら、息をあげて砂浜に到着する朝となりました。
昔に比べて、運動してから温まるまで、やっぱり時間がかかるようになってきましたね。
片道30分の道のりで、やっと体がほぐれてくるような按配です。
昨日健康診断の待合で見た、NHKの体操のおねーさんの、隙の無い姿勢を
夢まぼろしのように思い出すこと、しきりでした。
まあ、年相応に動けている、まあ丈夫なカラダに感謝して、新しい年を楽しみます。
仕事にも「温め」の助走がいることですし。よい、三連休を。(ずっとお正月!!)
寒の入り、北風が身に沁みる、とても寒い朝でした。健康診断で、朝食抜きの気分が、
余計に寒さを感じさせるのかもしれませぬ。お日様が顔を出してくれれば、と日向を願う
素朴な気持ちの七草です。
二十一世紀も新たな10年を始めたので、せめて寛容でありたいと思う今日この頃です。
他人を排するのではなくて、すこしずつでも受け入れるように出来たら、もう少し生き易い。
よく「器」が大きいと言いますが、ひとりひとりの器の大きさに違いはないと思います。
使い方に差があるだけで、方向がよいかわるいか、使いようでしょう。
聖人君子ではないけれど、せめて寛容を心がけしたいのです。
そこのところが、なにをおいても肝要に思える今年でした。
もうひとつの「涵養」 自然に水がしみこむように、養い育てていくこと。
みっつの かんよう。念頭におく、年頭となりました。
ぽっかりと空いたポケットのような六日という木曜日。お正月と一月との間にぽつんとある
そんな空白を感じる日です。七草はきりがいいのですが、今日はどっちつかずにあります。
兎のような雲がたなびく空は、淡い光りの加減で砂浜にも映っているみたいでした。
師走から続く、のんびりとした日々。なにも決めずなにもせず、日がな一日過ごしませう。
池田晶子さんの「暮らしの哲学」のなかに、十三年と十七年の蝉の話しが出ています。
十三年と十七年の間隔をおいて発生する蝉。その蝉たちは、どうしてその年月を「知る」
のだろうか。「知る」ことのほんとうはどこにあるのか。不思議を「言葉」にするお正月です。
さまざまな人の、様々な「仕事」のひとつひとつにある「背景」。
見えない心にうつる、仕事の背景に、どんな色をつけましょうか。
すこしゆっくりと出かけて、ちょうど日の出の時刻を砂浜で過ごす朝です。
冬至から二週間たって、日が伸びている実感をする、お正月になりました。
身の周りの本や雑誌を、眺めながら過ごしていると、面白いもので
普段は気がつかない志向があらわれてきます。
見過ごしていた記事や、言葉を拾っていると、寄り道をする時間が増えて、
考え方の巾が広がるように感じます。歩幅は変わらないけれど、あちこち歩いてみると
自分の身の丈がすこし伸びたような気になる。
行動の源は、より時間を使うことで得られる余裕のようなものかもしれません。
贅沢に時間を使うこと。使える時間を増やすことで、見えてくるものがありそうです。
なにやら、目つきが悪く撮れてしまった、新年の犬も
内心は満ち足りていることでしょう。飼い主の気持ちよさは、伝わりますから。
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