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自分の、なり

残暑の日々、蝉たちの声が賑やかで、やっぱり鳴き足りなかったのでしょう。

ここぞとばかりに、カナカナミンミンツクツクジージーの大合唱で始まる朝です。

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 人となり、なるようになる、なりふりかまわず、と「なり」という言葉はよく使います。

実が生るように、人が何者かに成る。「なる」という言葉は、ある状態からある状態に

「変わる」という意味がありました。

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 半年前、3月11日は、なってしまった日ですが、前向きに自分の「なる」に

置き換えるための試練でもあると言えます。

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 身なりは「身形」とも書く。その意味でも、自分の、なりは人に見える形のことのようで。

どう「なる」のかは、自分次第。身形を整え、自分のなりを見つめ、何者かになる。

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 人となり、は他人がする「人のふり」。人のふり見て、こちらもなりふり良く考えよう。

沸き上がる秋雲のなり、見上げつつ今週もなりますように。

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