真夏の一ページ
とても久しぶりに、城ケ島までドライブ。お盆休みにクルマで出るのも久しぶり。
とても久しぶりに、城ケ島までドライブ。お盆休みにクルマで出るのも久しぶり。
夜半から降り続く雨は今朝も降り続き、迷犬と濡れ鼠の朝散歩となり帰宅。
こんな日は自主的開店休業。晴耕雨読そのまま、旅の思ひ出整理にお付き合い下さい。
八坂神社を出て、すこし市バスに乗ってショートカット。降り立ったのは、京都の東側。
琵琶湖疏水分流沿いの「哲学の道」を、ゆったりと歩く。川のせせらぎと時の流れが、
小鳥たちのさえずりを交えてシンクロするような、そんな風景が続きます。
思索するのにこの上なく相応しい、川沿いの小道をたどって東山慈照寺に着く。
定番の修学旅行生に混じって、ひとり修学生。 観音殿、通称「銀閣」の佇まいをゆっくりと。
一層の書院、縁台から、いつかお月見がしてみたいものです。
銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台(こうげつだい)の向こうに建つ観音殿は普遍にある。
時の流れの中で、凛として潔い佇まい。己の姿も、かくありたいです。
境内を巡りながら、古の時代の風景に思いを馳せることで、今をよりよく感じること。
そんな効き目が、いい場所には備わっています。守り育んできた幾多の人々の手を経て、
この風景を感じることが出来る。日本の良さはこういうところにもありますね。
古建築は静かにただそこに佇んで在る。けれども豊かに感じられる言葉がある。
春の桜、秋の紅葉。皐月の新緑を愛でて、思いを馳せる旅。また次の旅へ。
皐月晴れが戻って気持のよい、清々しい朝の鎌倉です。よい週末の予感に満ちて。
今回の旅は風景をゆっくりと巡ることが出来ます。歳を重ねた分そうならなくちゃ可笑しい
かも。落ち着きを取り戻した感覚を失わないようにしたいものです。
清水の賑わいを、反対側の子安の塔から静かに眺めて、坂を下りて路地を曲がる一日。
ほどよい空間の大きさに囲まれて、時がスローペースになります。
ふと足元をみると、ゴミだしのポリバケツさえ、竹籠に入れられて目立たぬようになって
こういう細やかな感性が、古い街並みを支えているのですね。
お店の入口のガラス戸、摺り模様が影絵となって映り込むのも風情。
ゆっくりと歩きながら、目にする路地の風景。一コマずつ「絵」になる京都です。
こう書いていると、また行きたくなってきます。よい旅をたびたびに。
神戸での打ち合わせを終えて、急ぎ足で京都へ。夕暮の閉門前に無事到着した、
蓮華王院三十三間堂。訪れるのは中学の修学旅行以来、ほぼ四十年?
しずしずと、お堂のなかへ。国宝観音二十八部衆像と対面をする。
目を合わせると「よく来たな」という、お声が聴こえたようです。
うるうるとしながら、一体ごとに目を合わせ、境内へ。
時の流れを受け流し、佇む日本の建築の凛々しさ。
深い庇に守られながら、グレーの縁から、鮮やかな東大門の朱色を愛でる。
悠久の時、その流れの一点で時が止まったように至福のひとときを過ごす。
版築の土台の上に築かれた御堂の、繰り返されるリズムは永遠に新しい。
光りと影が織りなす、コントラストの深みは、古建築にしか醸し出せません。
時に抗いながら、凛と建つ姿に勇気づけられながら佇む、幸せなひとときです。
横浜から夜行バスにて一路大阪へ。早朝到着してまずは腹ごしらえ。朝ごはんも含めて
五千円弱。安全は確保されているけれど、ちゃんと利益が出る構造になっているのかな。
利用しておいて、言えた義理はないけれど。
神戸に向かう前に、午前中の空き時間に四天王寺へ。
学生の列に交じって、まだ朝のお掃除中の境内へ。
阿倍野ハルカスを境内から眺めて、ゆっくりとお散歩。
境内の池では、大勢のカメさんたちが甲羅干し。気持ちよさげな光景を目を細める。
境内の在り様を、あちこち見ながら歩く、建築中年約一名。
ゆったりとした朝時間に、日本の建築の良さをこれまたゆっくり愛でるのは幸せです。
静謐な境内をお日様にあたりながら三周ぐらいして、阿倍野ハルカスまで歩く。
朝の通勤、通学ラッシュにしても、街中の自転車通勤の人々にしても、東京のように
殺伐とはしておらず、譲り合ったり余裕があるように思える大阪。
地下鉄から中央線に乗り換えて天保山、大阪の海を眺めに。
随分前に出来た安藤建築を懐かしく見上げながら海べりへ。
海上保安庁の船が幾隻も出航してゆく。すこし冷たい風が吹いています。
東京と比べると人が少ない。よって、余裕があるように思えて、街並みもそう見える。
働く人も、すこしのんびりとしているような気がする日。
安藤建築の巨大さも、関西ならでは。そんな気もします。
人も風景も大阪そのもの。大阪の、色やね。
石巻は、水産加工のとても盛んな港町でした。過去形で語ることになったけれども。
先日の同窓会、名取市の友人が、再開された笹かまぼこを持ってきてくれました。
今まで食べてたよりも、とても美味しかったのは、思い入れがあったからかもしれません。
石巻の港へ向かう途中、大きな交差点にあるはずのない漁船が打ち捨てられたまま。
港の施設もがらんどうになったまま、の寂しい景色が続きます。
震災から半年が過ぎて、ようやくがれきが集められて、これからが大変でした。
運ぶ車両も人も、足りないそうです。
地盤沈下で面影が無くなった堤防、かすかに線になって残ります。
皮肉にも、沈んで蒼さが増した海と、青空だけ見ているといい景色にしか見えないけど。
唐突に、横倒しになった魚油のタンク。高さ11メートル近いこのタンクは、ここから
数百メートル先の水産加工工場から流されてきたのです。
この大きさが、あの日の、津波の流れを物語っていました。あまりに巨大で、
処理する術がないかのようです。
水揚げのおよそ八割が、様々なかたちで加工され、わたしたちの食卓にも上っていた
東北の海産物。まだ、しばらく水揚げしても、加工する場所、人、機械がありません。
日本の海の恵み、そのありがたみを、今回の震災は、感じさせることにもなりました。
当事者の方々の、働けない辛さ。何事もなかった我々には、思い測ることも出来ず、
忘れないようにすることだけです。
宮城を訪ねてから、もう二月近くが経ちました。原発の話題は出ていますが、被災地の
現状に対する報道やレポートは、すっかり影をひそめてしまいました。
忘れないように、先日報告会をしましたが、自分で一件落着させないように、
これからもすこしずつ、まとめていこうと思います。
地震当日の報道で、荒浜(あらはま)、閑上(ゆりあげ)地区と幾度となく取り上げられて
いた場所は、仙台東道路によって、被災の度合いが違った土地でもあります。
堤防のような道路より、海側はまったく人気のない風景が広がっています。
コンビニの廻りには雑草が生え、もう何年もゴーストタウンだったかのように。
打ち捨てられた、がらんどうな風景が続いています。
地盤が海へと地すべりして、海と川の境目が曖昧になってしまった海岸線。
川の右側が、仙台空港の方向、左側が仙台市の方向です。
まばらな潅木の景色は、以前は鬱蒼と続く松林だったそうですが、津波が押し流し、
その厖大な木々が流木となって、住宅街へと流れていきました。
海浜公園だった場所も、面影はなく、サバンナのような風景。
生き物のいない場所になっていますが、この反対側を見ればここが、住宅街だった
様子がわかると思います。草が伸びるにまかせ、放置された場所が続くまち。
家並みは、まだ残っていますが、一階部分は柱を残して、ほぼがらんどう。
二階だけで暮らすには、日常の食材や生活用品を手に入れる場所から遠く、
人気がないわけがわかりました。
この場所から石巻まで、延々と続く平らな海岸線を、何度も打ち寄せた津波。
広大な、ただ広がる景色。人のいない風景は寂寥そのものでした。
無論、南へ下れば福島、茨城、千葉まで、あまりに長い距離を、体感することは
出来ず、想像すら思い浮かべられない。せめて、忘れず、この日みた風景を風化
させないように、しないといけません。思い出すことです。
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