旅たびの旅

遠い港町の面影

 石巻は、水産加工のとても盛んな港町でした。過去形で語ることになったけれども。

先日の同窓会、名取市の友人が、再開された笹かまぼこを持ってきてくれました。

今まで食べてたよりも、とても美味しかったのは、思い入れがあったからかもしれません。

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 石巻の港へ向かう途中、大きな交差点にあるはずのない漁船が打ち捨てられたまま。

港の施設もがらんどうになったまま、の寂しい景色が続きます。

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 震災から半年が過ぎて、ようやくがれきが集められて、これからが大変でした。

運ぶ車両も人も、足りないそうです。

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 地盤沈下で面影が無くなった堤防、かすかに線になって残ります。

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皮肉にも、沈んで蒼さが増した海と、青空だけ見ているといい景色にしか見えないけど。

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 唐突に、横倒しになった魚油のタンク。高さ11メートル近いこのタンクは、ここから

数百メートル先の水産加工工場から流されてきたのです。

この大きさが、あの日の、津波の流れを物語っていました。あまりに巨大で、

処理する術がないかのようです。

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 水揚げのおよそ八割が、様々なかたちで加工され、わたしたちの食卓にも上っていた

東北の海産物。まだ、しばらく水揚げしても、加工する場所、人、機械がありません。

 日本の海の恵み、そのありがたみを、今回の震災は、感じさせることにもなりました。

当事者の方々の、働けない辛さ。何事もなかった我々には、思い測ることも出来ず、

忘れないようにすることだけです。   

人気のない風景

 宮城を訪ねてから、もう二月近くが経ちました。原発の話題は出ていますが、被災地の

現状に対する報道やレポートは、すっかり影をひそめてしまいました。

 忘れないように、先日報告会をしましたが、自分で一件落着させないように、

これからもすこしずつ、まとめていこうと思います。

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 地震当日の報道で、荒浜(あらはま)、閑上(ゆりあげ)地区と幾度となく取り上げられて

いた場所は、仙台東道路によって、被災の度合いが違った土地でもあります。

 堤防のような道路より、海側はまったく人気のない風景が広がっています。

コンビニの廻りには雑草が生え、もう何年もゴーストタウンだったかのように。

打ち捨てられた、がらんどうな風景が続いています。

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 地盤が海へと地すべりして、海と川の境目が曖昧になってしまった海岸線。

川の右側が、仙台空港の方向、左側が仙台市の方向です。

 まばらな潅木の景色は、以前は鬱蒼と続く松林だったそうですが、津波が押し流し、

その厖大な木々が流木となって、住宅街へと流れていきました。

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 海浜公園だった場所も、面影はなく、サバンナのような風景。

生き物のいない場所になっていますが、この反対側を見ればここが、住宅街だった

様子がわかると思います。草が伸びるにまかせ、放置された場所が続くまち。

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 家並みは、まだ残っていますが、一階部分は柱を残して、ほぼがらんどう。

二階だけで暮らすには、日常の食材や生活用品を手に入れる場所から遠く、

人気がないわけがわかりました。

 この場所から石巻まで、延々と続く平らな海岸線を、何度も打ち寄せた津波。

広大な、ただ広がる景色。人のいない風景は寂寥そのものでした。

 無論、南へ下れば福島、茨城、千葉まで、あまりに長い距離を、体感することは

出来ず、想像すら思い浮かべられない。せめて、忘れず、この日みた風景を風化

させないように、しないといけません。思い出すことです。

忘れないように

 携帯のデジタル表示が、11月11日11時11分11秒になるのを、しかと見届けながら

週明けの報告会の資料を作っていました。あの震災から、8ヶ月。訪ねてからも、もう

一月半が経ってしまいました。なるべく、軽々しく被災地の写真を上げないようにして

いましたが、今日は決して「忘れないように」一枚、上げておきます。

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 南三陸町は、わかめや牡蠣、ほたて、ほや、ギンザケの養殖が盛んな町でした。

輝く海だけは、静けさを取り戻し、養殖を再開しようと、残った地元の人々は懸命です。

 報告書を作るため、町の大きさを、住んでいる鎌倉と比べる地図を、同じ大きさで比較

出来るようにしてみました。ちょうど、鎌倉の市街地の半分、若宮大路から山までの大きさ

が、南三陸の志津川の大きさにあたりました。自分たちの住む町のスケールに当てはめる

ことで、毎日の散歩の距離として、体感出来るから。

 アタマばかりでなく、カラダで覚えないことには、きっと「忘れてしまう」ことでしょう。

 すこしばかり悲しいのは、インターネットで調べ物をしていると、津波の動画が

興味本位で、たくさんの題名がつけられて出てきてしまうこと。お茶の間ワイドショーの、

一場面ではないのに。海外メディアの冷静さ、や定点観測を続ける意思(意図)から、

すこしは学んで欲しいと思います。「見る側」の一員だから、偉そうには言えないけれども。

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 もうひとつ、「忘れないように」しようと、資料を作ったのは夕景の浜の美しい三宅島。

全島避難のあった2000年の噴火より前、昭和58年の噴火の際に訪れた時のこと。

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 噴火による溶岩流が、三宅島の阿古小学校を埋め尽くしてしまい、その仮設体育館を

建てるボランティアで手伝いに行きました。まだ、大学二年の、はたちです。

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 空気膜で作った、この建物。ネットとワイヤーをかけるのが、素人の役割でした。

あれから、四半世紀。小学校も統合されて、ひとつになり、もはや思い出の中に

残るだけとなりました。

 人は忘れる動物ですけど、今年のことだけは忘れたくないものです。

 忘れないように。

東京散歩日

昨日は仕事仲間との飲み会へ出かけてきました。すこし早めに家を出て寄り道をします。

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 御茶ノ水で降りて、聖橋を渡る途中、丸の内線が地上へちょっこっと出る場所を

眼下に見ながら、神田明神へ。

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 お囃子の太鼓を聴きながら、今年の報告をします。いろいろあったことを

振り返りながら。でも、手を合わせると無心になって、無事でありますように、という

しごく平凡なお願いをする夕暮れであります。

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 浅草橋から大江戸線で浅草へ。浅草寺にお参りして、本堂脇から花やしきの

赤いネオンを見て、五重塔を見上げてしばし休憩。

 下町は、同じビルの群れの中にいても、人の息遣いが聞こえてきます。

路地の鉢植えや、配達の自転車の通り過ぎる風景は、どこかのんびり。

 江戸の風情、消えたかに見えて、しっかりと根付いてそこここに在ります。

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 ほぼ出来上がったスカイツリーを横目に見ながら、待ち合わせの焼き鳥やさんへ。

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 仕事仲間といっても、ほとんどが私より十ちかく上。普通なら先輩たちなのですが、

かれこれ四半世紀、敬意を払いつつも、対等にさせてもらってます。

 皆、それなりに歳をとり、そろそろお孫さんの話にもなりそうです。

昔話に大笑いしながら、下町の夜は更けていきました。beerbeerbeer

日本の風景の正統

 先日訪れた宮城の内陸、栗原のホテルから、いつものように朝飯前に散歩に出ました。

国道沿いは、どこの地方都市にもある、大きな駐車場のある、家電量販店やドラック

ストアが点在する通りの風景でしたが、その国道を一歩越えた途端に一変しました。

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 三百六十度、見渡す限りの黄金色。刈り取りの終わった田んぼの先は、どーーんと

秋の実りの風景が続いています。たまにすれ違う農家のおじさんが、連れていたのは

なぜかコーギー、ラブラドール!この景色には、柴犬だろう!とすこし心の中で

ズッコケながら「おはようございます。」を繰り返す朝でありました。

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 あぜ道をてくてく、じゃまっけな飼い犬のいない、久しぶりの旅散歩は

まことに清清しい時間です。大手を振って歩くこと、ずい分と忘れていました。

 小さな町で暮らしてばっかりいると、考えが小さくなるのも当たり前ですね。

大きな黄金の宝の海。日本はこういう場所に支えられているのがよくわかります。

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 南へ三十分歩いて、まだこの先に広がる風景。美味しいご飯も食べたくなって、

引き返す朝。今年の秋に見たからこそ、この豊かなかけがえのない風景は

きっと忘れないでしょう。たくさんの人の手が入って、大切に手入れされた黄金色。

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 実るほど、頭を垂れる、稲穂かな。ふさわしい正統の風景でした。

ご飯、ばんざい!riceball

福興の大地

宮城を訪ね、仙台空港近くの閑上、荒浜地区から石巻、南三陸町、内陸の栗橋と

まわってきました。復興いまだなく、復旧のふの字が始まったぐらいの実感です。

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 海沿いへと向かう前に、まずは腹ごしらえ。というわけで、現地で大衆食堂を展開されて

いる「半田屋」さんで、夜明け前の朝ごはん。半田屋さんは、震災後いち早く食堂を開けて

食材をかき集めて炊き出しを始められたそうで、地元のご婦人たちの雇用も守りながら

日々の「食」を守る、地域のお店です。モットーは「腹いっぱい」とにかく、お腹が減っては

なにも出来ず、「生きる」ことはままならない。心意気、ですね。

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 仙台に向かう、この東道路から先が海で、この道路をはさんで、津波の被害が

分かれた、一本の土手です。この手前側はいわば「助かった」ところ。

この道の向こう側は、違う海辺の風景になっていました。

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 あるコンビニは、流されてがらんどう。震災後、そのままで雑草が生えています。

 たくさんのことを見聞きして、まだ整理がつかず、すこし呆然としていますが、

現地の人々のしっかりとして毅然とした明るさに接し、こちらが励まされた二日間です。

 復興の地では「福興」に。福を興す、という字になっています。

自分の廻りの人に、すこしずつきちんと伝えなくては、お世話になった方々に

申し訳がない。現実の仕事に埋没しないよう、努めて時間をかける秋になります。

雨のベネチア

まもなく梅雨明けが近いようですが、予報と同じで、はっきりしない空の下です。

 この時期、雨降りが続くと、いつも思い出すのは、雨のヴェニスの街並み。

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 イタリア旅行の終わりに訪れた雨の似合う街。

運河と路地が入り組んで「迷宮」という言葉や「退廃」という言葉が水面にゆらぐ街。

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 ご存知のように、杭の上に浮かぶヴェニスは、沈みゆく街でもあります。

高潮で潮位が上がると、街中にかさ上げ用のテーブルのような歩道が並べられて

その海水でひたひたの上を長靴で歩く。迷宮に住むのには、不便も当然のものとして

暮らす、おおらかさが必要です。

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 そんな街も、人口は減る一方のようす。まさに「退廃」へと向かっているかのようです。

が、そこで暮らす人々はイタリア人らしく陽気な雰囲気でした。

 昼間明るいうち、迷路を探求するうち、目星をつけたリストランテ。

夜、溢れる店内はにぎやかで、すべりこんだアジア人の私達に、白のタキシードの係り

の男性は陽気に、やさしく面倒をみてくれました。「よく喰うやつらだな。」

 出てくる料理は、すべて!!!beerwinebeer ビールのちワインのちビール

生まれ変わるなら、イタリアがいい。どこへいっても美味の国は、懐が深いのです。

 食後、夜風に吹かれながら、散策するにもほどよい広さのヴェニスでした。

街そのものが生きている、海上の都市はどこへ向かうのでしょう。

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 いつも真っ先に水没するサン・マルコ広場の塔から見下ろす風景は

いつまでもこのままでいてほしいものです。

 犬を飼うと、海外はおろか国内への旅もままなりませぬ。

老後の楽しみとして、夢の街は書棚の中へしまっておきましょうか。

光りと影を

仕事でパティオというテーマがあって、スペインの旅の写真をひっくり返しています。

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ヨーロッパも、国ごと地方ごと、実に多様な風景があります。

特にスペインは、イスラムの文様からガウディまで見所に溢れています。

その場所に、特有の光りを切り取って、陰影をつくる建築。

建物を形づくるのは、素材や骨組みだけではなく、光りや影が主役になる時もある。

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違う文化を、置き換えて、日本の家にふさわしいパティオ。しばらく考え続けます。

彼は我なり

外国へ旅すると、違う歴史を経てきた街を楽しむことが出来ます。

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設計を生業とするわたしたちは、作られて今に残る建物に触れることで、

当時の人々の思いを、おすそ分けしてもらいます。

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イタリアでは、レスタウロと呼ばれる建物の修復が一般的です。

日本のように作っては壊し、とは違う「残す」のが前提の文化は、

窓ひとつ、ふさぐにしても、その「窓がかつてそこにあった」という痕跡を残さなければ

ならない。という決まり事によって、受け継がれていきます。

歴史や古典は、今を生きるわたしたちが当時を学ぶことによって「現在」になります。

昔を生きていた「彼ら」は、わたしたちが感じることで、「我ら」の「今」として生きる。

 ものづくりの地平には、国や文化を問わず、連綿と現在に続く流れの先が見えています。

すこしでも「見える」ように、なりたいものですね。

群馬の森へ

突き抜けるような、秋空に誘われて、群馬の森へと、一人旅をしてきました。

高崎の一つ手前、倉賀野で降りて、巡回バスを待つあいだ、小学校の野球チームの

練習を眺めていました。倉賀野小学校の校庭は、空が大きく見えます。

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 小学生は、まだ動きもゆっくり、ランニングもゆっくり。

なかなか、白球が青空に舞い上がるまではいかないようでしたが、

とてものんびりとした時間をもらいました。

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 「群馬の森」公園。以前訪れたのは、もう四半世紀!!も前の学生時代。

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 あの頃は、建築のいろは、や空の高さ、木々の深さ、など見過ごしていた未熟者でした。

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 さて、お目当ては「白井晟一」展でした。「職人たちが見て感動し、懸命に仕事をする

ような図面を書かなければいけない」と精魂こめて書かれた図面の数々。

手書きの原図を、この目で確かめるために足を運びました。(美術館は磯崎新設計)

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 出来上がった建物の存在感と、書かれた図面の表現や、込められた思想や精神は

同じ密度を持っているような、そんな感じを受けました。

 ひとつ、白井さんの書かれた言葉で、「たとえローコストの住宅であっても、精神を

引き上げるような、ローコストでなければならない。」とありました。

 持つべき、ものづくりに携わるものとしての、精神。その思いを、図面から受け取る

そんな、旅でした。

2012年2月
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