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昭和の伝書鳩

日曜の午後、生涯学習センターにお話を聴きにいきました。

お隣にお住まいの方の講演です。その方は、大手新聞社で記者をされていました。

活躍されていた「昭和」という時代の、報道現場の苦労話を聴きました。

 「浅間山荘」事件の現場、当時の軽井沢近辺では、二月の最低気温がマイナス

15℃を下回っていたそうです。そのなか、千人を超える警察官の、食料の確保の困難、

用意されたお弁当やおにぎりが、凍ってしまう寒さだったそうです。

 当時、昭和の40年代に入るころまで、報道の記事と現場で撮られた写真は、

伝書鳩によって、東京の新聞社に運ばれていたそうです。鳩の帰巣本能で、

300キロから500キロぐらいまでの、長い距離を飛んで帰ってくる。

その足に丸めたフィルムと記事をつけて、託す。新聞社では、鳩係りという

担当が、専門職としてあったそうで、その方が待つ。翌日の朝刊に間に合うように、

夕方、鳩たちが帰ってくるのは、感動的な時間だったと聴きました。

 携帯のない時代に、多くの苦労を重ねて伝えられてきた、報道のお話。

平成も21年目。すこし遠くなった「昭和」に、生まれてよかったと思う日でもありました。

鳩のようには、働けないようです。↓

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危うい暮らしを守る

鎌倉の海は今日も穏やかでした。漁師さんの船の

漁り火もいつもとかわりません。が、昨日の事故、

7トンの漁船に7000トンを超えるイージス艦、

「当て逃げ」のようだと思いました。

地上であれば、三輪車とダンプカーのよう。

 おりしも、先日汚染された敷地へ築地市場が

移転されることのTVを見たばかりで、いつまで

おいしいお魚が食べられるのか、考えさせられて

いたところ。食の安全だけでなく、あやうい漁師さん

たちのおかげで、食べることができる、私たちの

くらし。危うさのうえにかろうじて成り立ってかの

ような、日々にただうろたえるばかりです。

 防衛省もそうですが、大きくなるとロクなことは

ないようです。大男 総身に知恵が廻りかね

足元があやうい自衛隊に、守ってもらうより、

自分の足元をまずしっかりしなきゃなんないぞ。

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