等身大の原寸大
梅雨の中休みが続いてくれて、すこし得をしたようにも感じられる週明け。
水面に映り込む青空と木の葉の影絵。静謐な時間が止まって見えます。
五年ごとの更新である、一級建築士事務所の更新時期の案内が届いたので、
予てから珍しく揃えてあった書類を携えて事務所協会へ。顔見知りの担当の方に
「書類が完璧です!!」とお褒めの言葉を、思いがけずにいただき、いい気分です。
Sさん、どうもありがとうございます。
褒められて単純に上機嫌で、東横線に乗って渋谷ヒカリエに。
最終日の「原寸大」展を観ます。
時代ごとに、60年代四つ、70年代三つ、80、90、2000年代がそれぞれ一つずつ。
年代が下がるごとに少なくなるのは、原寸を描く時間が減って濃度が下がったのと
比例しているのかな?建築というものの現実としての原寸より、経済という現実のほうが、
より優先されて加速した現代だから。
鳥の視点で俯瞰する大局観と、虫の目で見、おのれの等身大の身体感覚と
モノの持つ強度と、それにふさわしい厚みや大きさ、堅さや触感の冷暖。
モノを考える時間の長さ、濃さに比例して上がり下がりする原寸大の密度。
シンプルに至るまでに、モノと格闘した痕跡を原寸図は残すものでしょうが、
そこに込められた意図や理想、夢の濃度と、建築の寿命には相関関係はない。
たとえいずれ壊されるモノだとしても、建築にどう思いを込めるか、だけが
設計屋の存在理由ですね。
結局、自分の身の丈である、等身大の自分の身体と、モノとしての素材の物性から
導きだされる原寸大。そのバランスを、現実の、見えない経済の中へ、
見える実存としてのモノとして、建築を「落とし込む」のが設計。
足元の花の身の丈。つまるところ、自分の感覚を磨くしかありませんね。日々是精進。
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