お正月らしい澄んだ空気のなか、凪いだ海を朝焼けが染めています。日々是好日。
明日は仕事始め。すこしずつ御屠蘇気分を抜いていかなくちゃ。
まぁ、のんびりとすこしずつ参りましょうか。あくせくしたって、何も変わらないもの。
賑やかな鎌倉も、裏道の路地に入ると、鳥たちのさえずりがよく聴こえる静けさです。
今年初めて見上げる空の月。おめでとう。
変わる時代のなか、どう変わらないスタンスで立っているか。
余裕なく汲々とするより、しなやかにしぶとくありたい。
図太くしたたかに、でも見た目はスマートでさりげなく。
多分、創りだす建築の好みがそのようなかたちをとっていると思います。
ひとりひとりの違いが生む、自ずからの個性。大切に。
今年の鎌倉は、静かな時間が流れています。
心なしか疲れたとき、なにか心がささくれたように思うとき、見たくなる一本の映画。
「エリザベスタウン」はケンタッキーの、その場所を舞台にした映画です。
内容は、言うだけ野暮なのでご覧ください。失意の主人公が、エリザベスタウンからの
帰り道、その流れるシーンがいいのです。ひとつのロード・ムービーとして。
外国の映画には、一つのまちを題材にした名作がたくさんあって、小説もしかりです。
ひとつひとつの情景を、細やかに丹念に描くことで、その場所で暮らす登場人物を
豊かに浮かび上がらせる。そんな、伝統さえ感じられます。
アメリカは、特に国土が広いから、ロードムービーを作りやすいこともあるのでしょうが、
街ごとの個性の違いが、活き活きと描がかれて、流れるような物語になります。
ひるがえって、ここ鎌倉は海辺のまち。世界遺産に推奨されたようですが、
今の文化度は心もとないばかり。先人たちの残した遺産に比べて、今のまちは
誇れるような、丁寧につくられた場所はありません。
ホームタウンを活き活きとさせるのは、私たち自身が元気でなければ無理ですね。
先日の南三陸町の人々の明るさ、あのまちの目の前に広がる海の青さと
繋がっているのかもしれません。海辺のまち、つながりで思い出す休日です。
明け方、流鏑馬の準備に追われる馬場を、後ずさりする犬を引きつつ海へ。
物凄く大きな雲が低く垂れ込める朝でした。
案の定、ぱらぱらと天気雨。やり過ごそうと入ったトンネルから、
振り返る秋の空です。
帰り道は、また雨脚が強くなって、犬と一緒に濡れ鼠。
犬はぷるぷる、こちらはシャワー、で例大祭の一日が始まります。
流鏑馬に合わせて、秋空はピーカン。よかったよかった。
流鏑馬の行事は、実際に馬が走り出すまで、さまざまなお祈りがあります。
近所の子供たちも、装束姿になって神妙にお役にたちます。
無事是名馬、秋の祈願は、五穀豊穣と、何事も無事に進むことに感謝を奉げ、
頭をたれる。穏やかな一日でした。ごくろうさま。
終戦の日だというのに、ノーテンキに鎌倉に来る人でごった返し、お盆のお墓参りの
行き帰りも人いきれでへーへーでした。まるで犬と同じです。
お施餓鬼、餓鬼に施すお盆。我が物顔のガキんちょには、施せないなあ。
と、大人気ないオヤジの独り言であります。
あまりの灼熱に耐えかね、床屋へ。40年来面倒をみてもらっているお店。
いつものように親父さんが迎えてくれた店内は、冷房がキンキン。それだけで有難やです
汗かきの話になって、襟足の汗をかくというと「人によって、アタマの汗腺の分布も違う」
とのこと。なるほど、さすがの商売柄。納得させても、もらった日になりました。
さっぱりアタマで、清々したから、気分よく、また新たなスタートを切れそうです。
マスター、アリガトウ。
電卓、現場、電卓、の順番に向き合って、予算をひねり出して、ファックス送信完了!!
自分に「グッ ジョブ!」と親指を立ててあげる一日が明けました。
日中、現場で調査をしていても、どこかで予算のことを考えている自分がいて、
見通しがついていなかったこともあって、おもわずためいきついてました。
現場から戻って犬散歩しながら、すこしリラックス。冷静になって、集中。無事、まとまる。
ディズニーのアニメのように、両目が「\ \」マークになる月曜でした。
景色も目に入らなかった日から、一夜明け、すこし気が楽になったせいか
朝露のなか、花の色がとても鮮やかに見えてゴキゲンになります。
夏の花たちが笑う朝です。
鎌倉では、桜舞い散るなか、追善供養復興祈願祭が無事執り行われました。
静かな朝焼けが、後押しをしてくれます。
一般社団法人「ひと・まち・鎌倉ネットワーク」に参加しているご縁でお手伝い。
おりしも、お花見の人々でたくさんの町を歩いて、海までの托鉢のお供をしました。
仏教、神道、キリスト教の区別なく賛同した方々が、由比ガ浜の祭壇に到着。
お焼香をし、海に向かって合掌。手を合わせて、お祈りする術あるのみです。
浜辺にたどりつく直前の、交差点で鳴り出した「緊急地震速報」
家に戻って、大きな余震で被害があったと知りました。
今までなら、とても大きな揺れでも、あの日の後では、すこし感覚が鈍くなっているかの
よう。本当に、体験しないと、わからないのが、私達無事な人間のようです。
知ってか知らずか、沈む夕日がスマイルしているようでした。
朝日から、夕暮れまで、「出来ること」は大したことのない、ひと月後の我なり。合掌。
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